会長通信


by tamurasyasinkan

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

以前の記事

2014年 09月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月

リンク

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

社長通信第204号 2011.2.16 丸山浩路先生

丸山浩路(まるやまこうじ)先生が昨年の12月3日にご逝去されていたと今日知りました。

我が社で丸山浩路先生をご存知の方は少ないと思いますが、
私が一時期、とても感銘を受け、尊敬していた先生です。

たぶん、皆さんもNHK教育テレビで一度や二度はご覧になっていると思います。

NHK教育テレビでは、数年前まで、手話ニュースにおいて手話アナウンサーをしていました。
四角い顔で、眉が濃く、モミ上げが長い、いつも笑顔のあのオジサンです。
覚えているでしょうか?

私と丸山先生の初めての出会いは、
宇都宮塗料工業の宇都宮誠社長が主催した、会社の創業〇〇周年の記念講演会に出席した時のことでした。「手話講演」というものでしたが、一人芝居のその迫真の演技と、心を打つ内容に、本当に感動し、涙を流しました。

そして二度目の出会いは、日創研のTTコース最終講でのパフォーマンス講演でした。
笑いと涙、愛と勇気、挫折とチャレンジ・・・感動の連続でした。

5年前に5度目の講演を拝聴した時が、最後でした。
その時は、少し言葉が不自由になっていましたが、それでも一心不乱にパフォーマンスをしていました。

行年69歳だったそうです。心からご冥福をお祈り申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、丸山先生の感動の講演の中から抜粋してお伝えします。
どうか、読んでみてください!


「出会い、この素晴らしきもの」

高等学校の一年五組の担任五井先生は、新入生が入学して初めての授業で、名簿の名前を順番に呼んでいたが、「山田太郎」という生徒にだけ、名字ではなく「太郎!」と名前だけで呼んだ。

呼ばれた太郎は理由が分からず、なんとなく軽蔑されたような面白くない気持ちだった。

五井先生はその後も何故かずうっと「太郎」と呼び続ける。

不審に思う太郎だったが、3学期になり五井先生は病気で入院したという話が伝わった。

すると、五井先生から太郎に会いたいという電話があったことが伝えられ、太郎はしぶしぶ面会に行く。

病院のベッドには、何本もの管をつけた五井先生が横たわっており、髪の毛はほとんど抜け落ち、やつれた顔で苦しそうに息をしていた。

お前にどうしても話しておきたいことがあって・・・と咳き込みながら五井先生は秘密を話し始めた。

「どうして太郎とよんだのか・・・その理由をどうしても話しておきたくて・・・。
お前、小学六年生のとき、文集に書いた作文・・・覚えているか」

太郎の顔から、それまでのおどけた表情が消えました。六年生のときの文集・・・
そこには太郎が父親のことを書いた作文が載っていたのでした。

太郎の両親は共に言語と聴覚に障害があり、聞こえませんでした。話せませんでした。
しかし、そのことで太郎が両親に反抗したことはありませんでした。ただ一度を除いて・・・。

ある日の放課後、太郎はクラスメイトと大喧嘩をした。
自分より背丈の大きい相手を組み伏せると、下敷きになって必死にもがく相手がこう叫んだ。

「やぁい、おめぇんちの父ちゃん、母ちゃん、耳聞こえねぇだろ。しゃべれねぇだろう。この前の運動会のときおめぇんちの父ちゃん、母ちゃん、変な声出してサルみてぇに手で踊って話してやんの。おめぇ、一度も名前呼ばれたことねぇんだろう。犬や猫だって名前呼ばれんのによぉ。これからもずっと呼ばれねぇんだぞ。ザマアミロ!」

太郎はハッと息をのみ、拳を振り上げたまま体が動かなくなってしまいました。
両親に名前を呼んでもらう・・・太郎にとってこれまで考えても見なかったことでした。

太郎は立ち上がり、校門めがけて駆け出しました。
今までに感じたことのない寂しさ、言いようのない切なさに襲われながら、夕暮れどきの賑やかな商店街をひたすら走りました。
ボロボロと涙をこぼし、無我夢中で家に向かいました。

目を真っ赤に泣きはらし、悔しそうに睨みつけている太郎。
いつもとは違う息子の様子に驚いて立ち上がった父親に、太郎はむしゃぶりつきました。そして泣き叫びながら父親に向かって手話を始めたのです。

「ぼくの 名前 呼んで! 親なら 子どもの 名前を 呼ぶのは 当たり前 なんだぞ。 この前 運動会が あったよね。 走っているとき みんな 転んだだろ。 転んだとき みんなは 父さんや 母さんに 名前を 呼ばれて 応援 されたんだぞ! ぼくだって 転んだんだ・・・。 でも ぼくの 名前は 聞こえて こなかったぞ・・・。
父さん、 名前 呼んでよ。 一度で いいから ぼくの 名前 呼んで・・・。名前を 呼べないんなら ぼくなんか ぼくなんか 生まれなければ よかったんだよぉー!」

父親にしがみつき、その体を揺さぶりながら、太郎は声をあげて泣きました。
じっと目を閉じていた父親は力いっぱい息子を抱きしめ、やがて静かに体を引き離しました。

そして、無言の中にも力強い息づかいを感じさせる手話で、太郎に語り始めました。
「私ハ 耳ガ 聞コエナイ コトヲ 恥カシイト 思ッテ イナイ。 神ガ 与エタ 運命ダ。 名前ガ 呼バレナイカラ 寂シイ? 母サンモ 以前 ソウダッタ。
キミガ 生マレタ トキ 私タチハ 本当ニ シアワセダト 思ッタ。 五体満足デ 声ヲ 出シテ 泣クコトヲ 知ッタトキ 本当ニ ウレシカッタ。 君ハ 体ヲ フルワセテ 泣イテイタ。 ナンドモ ナンドモ ヨク泣イタ。
シカシ ソノ泣キ声ハ 私タチニ 聞コエナカッタ。 母サンハ 一度デ イイカラ キミノ 泣キ声ガ 聞キタイト キミノ 唇ニ 聞コエナイ 耳ヲ 押シ当テタ。

(ワガ子ノ 声ガ 聞キタイ! コノ子ノ 声ヲ 聞カセテ!)

ト ナンド 願ッタ コトカ。 シカシ 母サンハ 悲シソウナ 顔ヲシテ 首ヲ 左右ニ 振ル ダケダッタ。
私ニハ 聞コエナイガ オソラク 母サンハ 声ヲ アゲテ 泣イテイタト 思ウ」

太郎は初めて父親の涙を見ました。

父の心の底からほとばしり出るような手話をまばたきもせずに見つめました。

「デモ 今ハ 違ウ。 私モ 母サンモ 耳ノ聞コエナイ 人間トシテ 最高ノ 生キ方ヲ シテイコウト 約束シテイル。
キミモ ソウシテ 欲シイ! 耳ノ 聞コエナイ 両親カラ 生マレタ 子ドモ トシテ・・・ソウシテクレ。 コレハ 私ト 母サン 二人ノ 願イデス」

この時の父親の言葉を太郎は作文に書き、五井先生は同期生の自分の子どもが持ち帰った文集をたまたま読み、太郎の作文に感慨を覚えていた。
それから三年の月日が流れ、自分が担当するクラスに山田太郎の名前を見つけた。
記憶をたぐり寄せるように内申書をめくると、「両親ともに言語聴覚障害1種2級」と書かれていた。

(ああ・・・あのときの作文の子だ・・・)

「お前の担任になると知ったときから・・・私は・・・お前の名を呼ぶときは・・・」
つらそうに咳き込みながら、五井先生は振り絞るような声で話しました。

「こんなとき、お前のお父さんだったら・・・どう呼ぶかな・・・そう考えながら『太郎、たろう、タロー』と呼び続けていたんだ・・・理由も話さず・・・悪かったな・・・太郎」

頭を激しく振りながら、太郎の口から嗚咽が漏れました。
奥歯を力いっぱい食いしばっても、とめどなく涙がほほを伝ってきます。

「先生・・・この前、バスに乗って社会見学に行っただろう。あのとき、出発前に腕時計を指で差しながら『太郎、時間だぞ、太郎っ』って呼んだよな。オレ、あのとき・・・うれしかったんだ・・・。親父に呼ばれているみたいで・・・本当にうれしかった・・・」

うつむきながら肩を震わせている太郎のそばで、すっかりやせ細った五井先生は、じっと太郎をみつめながら何度もうなずきました。

「何も知らなかったから・・・ふざけて返事したりして・・・。先生、元気になってください! 必ず元気になって、僕のことずっと太郎と呼んでください・・・。お願いします。おねがいします!」

それから四日間、意識不明の状態が続き、五井先生は亡くなられました。
しかし、五井先生の限りないやさしさは、今も太郎の心の中に生きています。



「人間にとって最高の栄誉ある喜びとは」

不幸のほとんどは「~してくれない」というものの考え方から生まれてきます。

労せずして楽を得ようとする発想、自分だけ得をしようという発想は、心の貧しさであり、そこにとどまっている限り、生きていることの本当の喜びはいつまでたっても手に入れることができないでしょう。

人間にとって最高の栄誉ある喜び。

それは自分がほかの人の役に立つことができる、自分の存在がほかの人の喜びにつながることを知ることだと私は考えます。

人は一人では生きてゆけません。

一人では歩いてゆけません。

生きているということは誰かと手をつなぐこと、つないだ手の温もりを忘れないでいることです。
人間、生きてきて最後に残すものは、「どれだけ集めたか」ではなく、「どれだけ与えたか」です。

出会いに感動し、人の心に出会いを残すことこそが生きる喜びであり、生きた証しでもあるのです。



「人間は二度死ぬ」

人生は出会いで決まる。

運命は誰と出会ったかで決まる。

なぜなら人間は二度死ぬからなのです

一度目の死は、この世を去るとき。

でも、それで終わりなのではありません。

もう一回さよならするときがあるのです。

それは、自分がこの世に生きていたということを知っている人が誰ひとりとしていなくなったとき。

これが二度目の死です。

肉体はこの世から消えようと、出会いの灯し火は人の心に灯りつづけます。

その灯し火がある限り、人はまだ死んでいないのです。

だからこそ、生きているときにできるだけ素晴らしい出会いを残しておきたいじゃありませんか。

出会いを豊かなものにしたいじゃありませんか。

人の心に出会いを置かせていただく-出会いの命は人の命より長いのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがですか?すごいでしょ?

私の心に、今も息づいている丸山先生の講演の言葉です。

そう、丸山先生の本当の死は、丸山先生を知る人がこの世の中に一人もいなくなった時なんですね。

これから、機会ある度に、この話を受け継いで行こうと思います。

長文をお読みいただき、誠にありがとうございました。
by tamurasyasinkan | 2011-02-16 22:39